麓の歴史と世界遺産

当館のある九度山町や橋本市、かつらぎ町などの高野山と関わりの深い麓の歴史をご紹介いたします。
高野山だけではなく、麓にも積み重ねられた1200年の歴史があります。ぜひ麓の歴史もお楽しみください。

当館のある九度山町や橋本市、かつらぎ町などの高野山と関わりの深い麓の歴史をご紹介します。
高野山だけではなく、麓にも積み重ねられた1200年の歴史があります。ぜひ麓の歴史もお楽しみください。

九度山の歴史や見どころ

九度山は、大河紀の川と高野山を源流とする丹生川が交差する舌状河岸段丘の上にあり、高野山寺領の玄関口として栄えました。真田の抜け道と云われる5世紀頃造られた横穴式古墳もあり、江戸時代は真田昌幸、幸村の隠遁先として知られております。廃藩置県の頃、堺県、五條県と変遷し和歌山県に落ち着いた歴史もあります。

細い路地など風情ある小道が多く、作家司馬遼太郎は当地を訪れた紀行文『街道を行く』に記されたくだりには、こう記されております。「九度山橋という長い橋が、紀の川に渡されている。北から南へこの橋を渡るべくさしかかった前面の風景というのは(中略)丘陵上に九度山集落のいらかの群れをあかるく盛り上げていて、丘と川を好む中世ヨーロッパの小さな都市国家を思わせる」。司馬遼太郎にこの様に言わしめるほど、情緒の深い街として栄えておりました。
ちなみに、NHKの番組である「ブラタモリ」の放送始まりの風景でもあります。

世界遺産・慈尊院と丹生官省符神社

慈尊院は、816年高野山建立と同時に庶務を取り扱う政所として伽藍を草設しました。空海の母玉姫御前が逗留してから弥勒菩薩の別名として「慈尊」と呼ばれた石段の下の寺と、明治の神仏分離令により神社となった丹生官省符神社からなります。

真田庵

公式には真田親子が住んだ寺として案内されている屋敷です。敷地に入ってすぐ、可愛い閻魔さんがお迎えしてくれます。
本尊は地蔵菩薩で、革命が起こると云われる江戸時代中期の1741年辛酉の年に、徳川吉宗将軍の頃建立されました。正式名は「伽羅陀山善名称院」であり、すぐ隣には信州で修行してきた蕎麦店「幸村庵」があり休日は大変な賑わいを見せます。

大石順教尼の記念館(旧萱野家)

江戸時代、高野山の避寒所の里坊としての不動院です。
昭和初期身体障害者の心の母と呼ばれる「大石順教尼」が逗留しました。
大石順教尼は17歳の頃に、六人斬り事件に巻き込まれ両腕を失いながらも口で筆を咥え書道、和歌、絵画の修行を重ねつつ、仏道と身体障害者の自立教育や福祉相談に力を注ぎました。

平成22年に記念館となり、大石順教尼が制作した書画が展示されております。

高野山麓の世界遺産

高野山麓には、高野山と深いつながりを持った寺社仏閣が多く点在しております。
高野山が開山して1200年、その時代によって様々な歴史的関わりや、それぞれ独自の魅力を持った寺社仏閣です。
中川旅館のある九度山から近くアクセスが良いため、九度山へお立ち寄りの際にはぜひ訪れてみてください。

麓の世界遺産

神仏習合の起源 丹生都比売神社

創建は1700年以上前と伝えられ、天照大御神の妹である大神を祀る全国の総本社です。本殿4殿は春日造りで全国最大の規模を誇ります。
2004年UNESCO世界遺産に登録され、日本遺産に葛城修験としても登録されております。

丹生酒殿神社

丹生都比売神がこの地に降臨した際、地主神である竈門明神が紀の川でお酒を造り供えたことが神社名の由来と言われております。
高野参詣道の三谷坂経路の起点として2016年に世界遺産に追加登録されております。晩秋には大木の銀杏の枯れ葉が絨毯のように神社内に敷き詰められ、見事の一言に尽きます。